2013年8月15日木曜日

全青税復興支援バスツアー

組織・広報部の俵です。

全国大会の翌日に全国青税復興支援バスツアーに参加しました。
 
朝9時に仙台を出発し、バス3台で南三陸町へ向かいました。
 
震災から約2年半が経過し、震災を受けた町もだいぶ元の姿になったであろうと思い、
そんな気持ちでバスに乗車していました。が、しかし・・・。
 
南三陸町に近づくとこれまでの景色が一変しました。家の土台らしき姿が見受けられ、
当たりは雑草が生えているだけの土地があらわれてきました。海岸沿いは岸壁が崩れた
まま。防波堤も崩れたまま。ガードレールが海の中にあったり。あきらかにこれまでの
景色とは異なっていました。

 
3台のバスはまずは南三陸町の「さんさん商店街」に向かいました。
これは被災地に商店街がなく、被災地の方の日用雑貨や食料品を購入するために作られ
た、仮設の商店街。

 
現在はここで南三陸町の海鮮料理を食べることもできるようになっており、ツアー一行
もここで南三陸町の海鮮料理=キラキラ丼を食べました。この時期は南三陸で採れたう
に!

 
つまりは「うに丼」。何もつけなくても十二分においしぃ~。
 
その後、被災地の復興を願い、昨日の寄付を贈呈しました。
寄付した方々の思いが集まり、その思いは金額にもあらわれていました。

 
贈呈式を終えバスに乗車し、被災地の方に案内していただきながら被災地を巡りました。
 
津波の被害を受けた南三陸町を一望する高台に到着しました。2年半前は住民の方々が
津波に飲み込まれる町をただただ眺めていることしかできなかった場所でした。

 
となりは小学校で野球部が試合をしているよく見る光景でしたが、運動場の半分は今で
も仮設住宅が建っていました。

 
ちょうどそのとき、今まで経験のしたことのない地鳴りがしました。宮城県沖で発生し
た震度5強の地震に遭遇しました。まだまだ余震の影響があることを実感しました。
 
防災対策庁舎。ここは職員の半数以上が津波で亡くなってしまった。津波が来る直前ま
で防災無線で町民に避難を呼びかけていて、逃げ遅れて津波の被害にあってしまった方
は、半年後には結婚式をあげるはずだった。鉄骨だけが残った庁舎を目の前で見ると、
思わず涙が出てくる。

 
その後もバスで南三陸町とその後は石巻の被災地を見てまわりました。
 
地盤沈下している道路も多く、港もまだ岸壁が崩れていました。建て直した家がある一
方で、崩れかかったままの家や、津波の影響を受けたままの家がまだまだありました。
まだまだ震災の影響が残っていることを肌で感じました。
 
震災がおきて約2年半。名古屋も被災地も同じ時間(とき)を刻んでいるはずなのに、
とても同じには思えませんでした。
 
被災地の方から震災で大切な人を亡くしたと聞きました。それはかけがえのない家族で
あったり、仕事仲間だったり、友人だったり・・・。
 
震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日の早い復興を願い
ます。